社会資源についてのインタビュー(加筆修正あり)

この秋は、「これまでの子育てを振り返る強化週間」みたいだ。
あちこちから依頼が来る内容が、それに集中した。
今日は、学生さんの卒業研究に協力してやって、と大学の先生から依頼があり、ファミレスでインタビューを受けた。
インタビューは、電話によると「1時間ほどお話を伺いたいのですが…」
実際には、朝の10時に始まり、終わったら13時20分だった

3時間も私の話を聞いて、学生さんもさぞかし疲れたことと思う。
後から聞きなおせるように、学生さんはヴォイスレコーダーをセットしつつ、メモ書きに頑張っていた。

「子育てしてくる上で利用した社会資源について」…ってな感じのインタビューだったので、時系列に沿って、述べていくわけなのだが、これが結構難しい。一応、まとめた「○○○○手帳」があるので、それを見ながらしゃべるのだけど、やっぱりポロポロ後から思い出したりして、完全に時系列化することができない。

全部言い終わった、相手も聞き終わった、と思って終了しようと思ったら、ポーンと抜けていることがあるということに二人とも気がついて、また話しだして…そっから1時間かかってしまった

思い出していると、また改めて腹が立ってきたりすることもあったりして(笑)、過去を振り返る作業ってのは、ときどきやるもんだね、と思った。初心に返る気持ちになるというか。

たとえば、今からさかのぼること10年前、引っ越してきてすぐに、役所で相談した結果、「この子(ナツ)は保育園に障害児枠で入れるのが適切でしょう」ということになったのだけど、「じゃあ、入れてあげるから、○日までに仕事探してきて」ってな展開があった。

よそ者の私は、目を白黒させた。

この前、必要があって住民票を取ったんだけど、倉敷への転入日が5月21日となっていた。
引っ越してきてまもなく、市役所に行ったと思うから、恐らくそれが5月末くらいで、記録によると7月1日から保育園へ通いだしたと書いてあるから、なんと1ヶ月の間に、親戚も友人もいない、土地勘もまったくない状態で、仕事を見つけた、ということになる。

よくやったなぁ>私
だって、子どもが病気しても預ける身寄りがいないので、スーパーのレジ打ちとか、シフトに組み込まれるような仕事につくわけにもいかず(子どもが伝染病とかで1週間まるまる休んだり、病気がちでしょっちゅう休むようなら、もうクビでしょうから…)、頼る親戚もいない土地で3歳の子を抱えてできる唯一の仕事→在宅の仕事…を見つけ出してゲットしたんだもの…

私が子どもを保育園に入れなければいけなかったのは、既に前に住んでいたところで母子通園を経験していたから、今度は集団の中に入れることが適しているでしょう、幼稚園は人出が足りないから、保育園に障害児枠で入るのが良いでしょう、と市役所の人が言うので、そうすることにしたわけなんだけど。

実は前に住んでいたところでも、ナツは保育園に入園することが決まっていた。やはりふつう、母子通園を経験したあとは、子ども単独で集団に入れる、というのが一般的な流れなのだ。ずーっと母子通園ばかりやっていても、子どもは伸びていけないだろうから。親と離れるという段階が、やはり必要なのだ。学校へ向けての準備にもなるし。

前住んでいたところは、保育園に障害児枠で入るのに、入園する時点では、必ずしも働いていなくても良かった。仕事につくまで、ある程度待ってくれた。

ところが、ここでは、遠くから引っ越してきた人間に、1か月で仕事についてください、でないと障害児枠で保育園に入れるのは不可能です…と言ったわけ。(今は知らないよ。当時は、よ。)
無茶ですって…(-_-;)

本当ならナツは4月から集団に入れていたはずなのに…転勤のために何ヶ月も家で過ごさざるを得ない状態になっていて、私は、焦っていた。とにかく入れるならすぐに入れてやりたかった。
一刻も早く予定通りに集団に入れてナツの発達を促したかった。
大集団に入れるときに、もしかしたら変わるかもしれない、劇的に伸びて、ふつうの子に追いつくかもしれない、と思っていた。最後の賭けだったのだ。

「働きたいから」保育園に入れる人と、障害のある子の発達上必要だから保育園に入れる人と、ごっちゃにするのもおかしい…というか、発達上必要だから集団に入れたい人のためには、保育園でなく別の場が用意されているのが本来の形だろう。もともと、保育園は、働くママのためにあるものなのだから。

正直あのとき、幼稚園で受け入れできる状態だったら良かったのに、と思う。
幼稚園だったら、別に働いていなくても、入れることができるんだから。
たぶん、今、この時代だったら、幼稚園に入れただろうな…
(現在では、幼稚園にも「支援員」が配置されるようになっている)

障害児を抱えた転勤族の大変さ、ぜんっぜん、わかってない、と思った。
倉敷って地元にずっと住んでる人が多いから、よそ者の大変さが、わからないんだろう。

実際、保育園に入って最初の2週間くらいだったかな…ナツは、ずっと泣きっぱなしで、ろくに水分も食べ物もとらなかった。危険だったので、預けても、早く迎えに行く日々だった。

仮に、なにかのパートについたとして、7月1日から働いてたら、どうなっていたんだろう?2、3時間で迎えに行くような状態で?(実際には「慣らし」のために数日間は仕事開始まで猶予を与えられていたと思うけど…あくまで2、3日だったと思う。)

在宅仕事だから、なんとかなったのだ。(そんでもしんどかったけど…)

在宅仕事は、新聞で見つけた。某有名派遣会社の仕事。それをゲットするために、隣の市まで試験を受けに行かねばならず、さらに、試験に受かってすぐに最初の仕事を与えられたため、まだ保育園に預けてもいない時点でそれを期限までに仕上げなければならなかった。

でも、それができないと、その仕事を継続的にもらうことも、仕事をしているという証明をとることもできなかったので、有償ボランティアで、個人の家庭で子どもを預かってくれるというサービスを(たぶん市の広報で)見つけ出し(ファミリーサポートという)、それの登録に行き、相手に引きあわせてもらって、見ず知らずの人に3日間ナツを預ける…ということをしなくてはならなかった。

とにかく、環境の変化に弱い自閉症児である、まだ3歳のナツは、引っ越してきて家も環境も変わった、というだけで、情緒不安定だった。マンションの外廊下を歩くのすら嫌がって、抱っこしないと外に連れ出すこともできなかった。もうすぐ4歳になる3歳児は、抱っこして車まで連れていくには、重かったよ…(-_-;)

よくわからなくて不安だったり、道が舗装されていないところだと歩くのを激しく嫌がったため、あの頃のナツは、なにかにつけ抱っこしなければならないことが多かったと思う。私は若かったけど、それでもしんどかったよ…

それに加えて、突然、見知らぬ家に何時間も預けられたナツ。それはそれは心細かったに違いない。やっぱり初日からすごく泣いて、預けるのが本当につらかったものだ。それでも、仕事をゲットするためには、心を鬼にして預けねばならなかった。預かってくださった方も、本当に大変だったことと思う…申し訳なくて、お迎えに行くときには、菓子折を持って行ったりしたものだ…

簡単に「○日までに仕事を見つけてくださいね」というけれど、そんな簡単なことではないんだよ。

全然土地勘のないところで、情報を教えてくれる人も誰もいないし、困っても誰にも相談できない。市の広報を、かじりつくようにして見て、必死でサービスを探し、知らない土地を運転して、すべて初めてのところにばかり行って、しかも時間の猶予もない…子どもは泣く、騒ぐ、パニックを起こす。連れ歩く大変さは、健常児の比では無い。

一日が終わると、心身ともにズタボロだったものだ


当時は、児童相談所も不親切極まりなかったし…
紙切れ1枚渡して、「このあたりで療育受けられるのは、この表に載っているところくらいです…」ってだけ。
いいところを見つくろって、電話してアポ取ってくれるとかも一切なし。(前住んでいたところの児相では、常にそれをしてくれた。お母さんが自分で動く手間を、省くように配慮してくれた

自分で回ってみてねって
障害のある3歳児を抱えて、よくわからない施設にいちいち電話をしたり、土地勘も無い場所を道に迷いながら運転して、訪ねて行ったり…
どんだけ大変だか、わかんないの!?
一通りあたったあげく、ろくなところが無いという結論に達したときなんか、もう脱力を通り越して怒りが…

思い出すと、どんどん腹が立つので、もうやめる~

まあとにかく、近日中には、小学校入学を控えたお母さんたち相手に経験談を話す、みたいな企画に呼ばれているし、さらにその先には、やはり「障害のある子の適切な就学」をテーマとした大きなイベントで、就学についての経験談をパネルディスカッションする企画で、パネラーとして呼ばれている。

今日一通り思い出して話したから、その記憶が役に立ちそう。

まあ、そんなこんなでインタビューが終わり、帰りにお米を精米して、夕飯の買い物して帰って、家に戻って洗濯物たたんで、ちょっと掃除して、夕飯の支度を全部して、子どもたちをピアノに連れて行って。
1時間半のレッスンが終わって家に戻って、子どもたちにご飯を食べさせて、自分は食べる暇もなく、三線の練習へ。

今度、コンサートで舞台に立たせてもらえる10人の中に入れてもらったのに、私だけ練習不足なので、補うためにお願いして参加させてもらったのだ。

ちょっと今日は全般的に、唄が不本意な出来だった。悲しい。やっぱり練習が不足しているっていうことでしょう。
明日も自主練するしかないね。
最近、外でも、声を出して唄えるようになってきました。だんだん、厚かましくなってきたネ。

終わって帰ったら9時過ぎ。
なんか声が枯れていました。実は喉があまり強くないんです。すぐ枯れるんだよね。

市内の学校でも、新型インフルが流行しだしました。
来週日曜日のコンサートまで、なんとか、自分の周りに病魔が寄ってきませんように…と祈ります。
コンサートが中止になったりしたら、悲しすぎるもの。


はああ、今日も・お疲れ~





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