自分と同じ思いをさせないために。

行政や大学や、NPO法人、そして私たち親で、一緒に障害児の子育て環境について考える会議を定期的に持っている。
今日もその会議だったけれど、その場であらためて思ったこと…

私たちが、この会議に臨んでいるのは、自分たちの利益につながるからでは、無い。
100%無いとは言わないけど、ほぼ自分たちのためじゃ無い。

障害のある子でも、安心して育てていける街にするために考えていこう、足りないものは生み出していこう、協力し合って行こう…というこの取り組みの内容は、主に、これから障害児を育て上げていかねばならない、小さい子のお母さんたちのためになることばかり。ほとんど、そう。

私たちは、もう子どもも大きくなってしまい、一番大変な時期は通り過ぎてしまった。
ある意味、これからがもっと大変、とも言えるんだけど、精神的なつらさは、ピークはやはり乳幼児期にあるので、そこはもう乗り越えてきてしまった。




たいていの人間は、目の前の自分の子のことだけしか考えないので、後ろは振り返らない。
今の自分が良ければ、それでいい。
たとえば、ナツのように中学生や高校生の子の親なら、考えるのは、作業所を立ち上げようとか、就職が、とか、そういうことになるだろう。自分たちの通ってきたデコボコ道を、あらためて、ローラーでならしておいてあげよう、とかは思わないだろう。
「自分の子のことで精いっぱいよ」それが正直な気持ちだろう。

まあ、ある意味、それが一番賢いやり方なのかもしれないが、
そういう自分本位、自分の子ども本位の活動というのは、多くの人の支持を取り付けることはできないと思う。

自分の利益ということを、いったん棚上げして、公共の利益について考えようとする姿勢をとるとき、初めて、社会的な存在意義が生じると思う。その団体なら団体が。個人なら個人が。

(逆に言うと、公共の利益を考えていたはずが、いつのまにか個人の利益を追求するようになると、人は離れていくし、存在価値も失うだろう)

確かに、自分の目の前の問題には、直結していないかもしれない。
若いお母さんたちを救ったって、別にわが子の就職や将来にわたる安定とは関係ない。
けれど、福祉全体のレベルが上がれば、必然的に、わが子のいる場所も引き上げられる。
波は、いずれこっちにも届く。そう信じてる。

とは言っても、別に波が届くことを期待して活動するわけじゃない。

いつも心の中にあるのは、これからのお母さんたちに、自分たちと同じ苦労をさせないこと。
そして、今、二次障害を起こして無茶苦茶になっている、実に多くの中学生の発達障害児たちを目の前にするとき、この子たちを直接なんとかしようとするだけでなく、こういう子たちを大量生産する環境自体を変えないといけない、と思う。
それにはやはり、乳幼児期に立ち返らなければいけないのだ。

子どもの人生の最初の時期に、お母さんたちを、お母さんの子育てを、しっかりと支えてあげること…
そのことが実現できたら、その子どもたちが中学生になるころ、今の中学生のようなグチャグチャな状態では、ないかもしれない。もっと幸せな子どもたちが、そこにいるかもしれない。

私たちは今でも思い出すことができるし、思い出さなくてはいけない。
子どもがまだ小さかったとき。2~3歳のころ。幼稚園・保育園のころのこと。

あの時のつらさ、苦しさ、自分だけで抱え込む孤独、絶望…
これを、これから後につづくお母さんたちには、させたくない。させてはいけない。

「人の相談に乗ってる場合じゃないでしょ」と言う人もいる。
けれど、
目の前のことを追っかけることも大事だが、自分の過去をきちんと整理し、向き合ったうえで、未来って作られていくものじゃないだろうか?
若いお母さんたちの相談に乗ることは、「人のためならず」。自分自身のためにもなることのはずなのだ。

私はもうだいぶん、整理されちゃったほうなので、あの頃、大変だったころのことをリアルに思い出して涙することは、もうほとんどなくなった。

けれど、今日、まだ小学校低学年のお子さんを持つお母さんが、涙ながらに「これからのお母さんたちに、自分と同じ思いをさせたくない」と訴えてくれたとき、あらためて、自分の思いを新たにした。

やっぱり、まだ子どもが小さい人は、思い出すだけで涙がこみあげるほど、つらい経験だったのだ、と。
なぜ自分があんなにも苦しまなければいけなかったのか、改めて自分で自分を可哀そうになるんだろう。「あのときの自分」「救われなかった自分」のことがあまりにも、悲しいんだろう。

やはり、私たち、少し先を歩く人間は、それを決して忘れてはいけないんだ。
自分にはもう関係ないからいいや、じゃない。

同じ思いをするお母さんたちが次々に生み出されていくような状態で、大きくなった子たちの幸せだって、あるもんか!

一方で苦しむ人間のことを放っておいて、一部の人間だけ、「私たちの子のことを理解してください」なんて、虫が良すぎるというものだ。

全体が底上げされなければ、私たちの子どもにだって、幸せな未来なんか、あるわけない。

どうか多くの親たちに、そう思ってほしい…と、願わずにはいられない。

















この記事へのコメント

ぽち
2009年08月22日 08:48
幼児期のサポートは非常に重要と思います。
ここで十分な情報がなくて右往左往しがち。自分自身もあの時期は、人前で話そうとすると涙が出て仕方なかった。(今では信じられないけど、ね。)
でも、泣きながらでも、幼少児を抱えた親の中にも、リーダーになれる人は必ずいる。リーダーは、本当に必要なときには、生まれるもの。そう思います。

息子が少林寺やってるときに、学んだ言葉に「自他享楽」というものがあります。
調和の取れた姿というものは、自分も周り(社会)も幸せである、ということ。
そうでないのは、いびつな社会。
後に続く人を救うことは、とても大切なことだけれども、それと共に、足元の自分の生活を固め、将来の道筋を、開拓すること、それも同時に大切なことと思います。

調和を取りながら、やりたいものですね。

それと、耳が痛くても、反対意見にしっかり耳を傾けること。
自分自身、心がけたいと思っています。
2009年08月22日 22:59
>ぽちさん
もちろん、将来に備えることは、何より大事なことですね。
でも、将来に備えることは、親ならば大抵、言われなくとも考えることだと思うんですね。そこにもうひとつ、後ろを振り返る視点を取り入れて欲しい、と強く思うんです。

私たち、「先輩お母さん」が役割を持って、組織的に、若いお母さんたちの相談に乗るようにしていかないと、専門家だけでは、やはり片手落ちだと思うのです。

しかしそれには、先輩お母さんたちの善意だけに頼るのは、やはり無理があるとも思います。善意のボランティア行為というのは、気持ちや生活に余裕のある人間しかできないことだからです。自閉症協会がやっているようなペアレントメンターみたいなやつを、地方自治体も積極的に組織するべきかもしれません。

反対意見を聞くことは、どんな場合でも大事ですね。もっとも、嫌いな相手に言われたことは、受け入れにくかったりするけれど。
でも、筋の通った話というのは、自分の意見と真反対だったとしても、ふつうは、心に入ってくるものだと思います。入ってこないってのは、よほど視野狭窄な状態に陥っていると思われます。自分も気をつけねばと思います。
ぽち
2009年08月23日 15:31
POSHIさん、お返事ありがとうございます。

しょうがい児を育てる悩みは、一つ解決すればまた次と、次々に訪れます。
後ろを振り返る視点を持ちつつ、連携を強め、住みよい社会になるよう、努力していきたいですね。

ペアレントメンター制度
自閉症協会には、そんないい制度があるんですね。
事業の一つなのでしょうか?つまりカウンセリングをする側の方への研修や謝礼など、整えられているのしょうか?

昨今は、保育園や幼稚園、学童保育でのしょうがい児受入れが進み、共働きの人が増えてきました。もちろん、仕事を持たない人でも、皆さん、寝る時間や、自分のための時間を削って、活動しています。POSHIさん言われるように、善意のぼらんてぃあ頼みは、無理があります。行政の方は、懇談に来ている数人の保護者の背後には、同じような思いで苦しんでいる人が数百人,数千人いることを認識いただき、一言一言の重みに、真摯に応えていただきたいものです。

2009年08月23日 23:22
>ぽちさん
ペアレントメンターについて、詳しくは自閉症協会のHPをご覧下さい。
通りすがり
2009年08月31日 21:48
かつて障害児福祉を担当していた行政マンです。
私が心がけていたことは「いかに保護者の方々の気持ちを理解するか(独身ですが)」です。
ただ、行政としては長期的な意見も貴重だと思ってます。確かに障害があるということは年齢を重ねるごとに新たな課題が生まれるのだと思いますが、保護者として今の課題は課題としてひとまず置き、過去の課題を冷静に分析できる方は比較的少数だと思います。
幸いなことに私の在任中はそのような保護者の方数名に恵まれ、むしろ常に教えていただく立場でした(^_^;)
行政の継続性を考えると、長期的な視点というのは絶対必要です!!
応援しています。
通りすがり
2009年08月31日 21:49

すみません…絵文字が多過ぎました…
2009年09月04日 08:01
>通りすがりさん
ようこそいらっしゃいました…

…て、本当に通りすがり、ですか?私の知っている人じゃあ、ないでしょうねぇ(笑)その場合、ちゃんとカミングアウトするように!
それはさておき、「長期的な視野」はどんな場合でも必要です。
驚くことに、行政側に、その視野が足りない、と感じることが多々ありますね!障害分野に限った話じゃなく、特に大金が動くような事業のときに!
きちんと裏付けのある、しっかりとした根拠に基づいた試算による総費用の積み上げがなく、「おそらくこのくらいは…」というドンブリ勘定。信じられないですね。○○○公園がいい例です。
だいたい、とってつけたように目新しい小奇麗な、もともとそこにある文化にまったく無関係のものを誘致するのはやめなさいって。思います。今、世の中は、「環境に優しかった昔」に回帰しているのです。ピカピカのモールとか、もうよろしい。そんなのどこにでもある。古いもの、歴史のあるもの文化の香りのするものを大事にして、そこを上手に演出してあげたら、もっと面白いのに。議員さんたちもね、視察とは名ばかりの観光旅行するんでなくて、ちゃんと全国各地の成功例の視察でもしてこいや!と思いますけどねぇ。
通りすがり
2009年09月08日 22:30
ほんとに、行政の視野の狭さには我ながら辟易して
います(>_<)
市民の意見をよく聞かず、すぐに「クレーマー」あ
るいは「うるさい人」と判断してしまう上司がいか
に多いことか…。
また、一部市議のレベルの低さにもウンザリです…
一部市民の代弁者となるな!
広い視野を持て!
と日々感じています。
だいぶ前から地方分権が強く言われて
いますが、現状では時期尚早だと思い
ます…
市全体のレベルアップが必要ですね。

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