障害という言葉について考える

今は、1年間でこの時期だけ、会の活動資金を稼ぐために、お茶を売って歩く時期であり、
総会だ名簿だ、なんだかんだと、期初特有の雑務も目白押しで、ゆっくりするヒマはありません。
まさにオンシーズン!1年間の活動内容を考える時期でもあり、私にとっては、今年度、どこのどなたを、
講演会の講師として招くのかを考える時期でもあります。

一番大変だけれど、一番ワクワクする時期でもあります。

既に、2~3の講師手配は済んでいますが、まだ大物については未定。
私の頭の中では、この人!と言う人は実はあるんだけれど…さて、どうかな。

私が今年、講演会を催すにあたって想定している大きなテーマは、「障害観」。

人それぞれ、障害というもののとらえかたが違う。
すごく悪くとるひともいれば、ほとんど気にしていないひともいる。
親として、子どもの「障害」にどのように向き合うのか、そのへんを掘り下げたい…


今日、仲間内で、そんな話題がちょうど出て、つくづく、それぞれいろんな考えがあるな~と思ったのでした。
でも、それぞれが結構はっきりとした意見を持って活発に議論できるので、うちのスタッフってばほんとレベル高い!と嬉しくなっちゃったりする。

問題となったのは、「障害」という言葉を使わず、「特別支援」としたほうが、いいんじゃないか、ということ。
「障害」って言葉のイメージが悪いし、知的に高い子が、「障害うんぬん」って言葉が書いてある本やら書類やら目にしたらショックを受ける…とか。

知的レベルの高い(たとえば広範性発達障害とか)の子の場合、自分の特徴については理解しているけれど、でも自分のことを障害者だとは思ってない、とかいう話とか…
障害のある子どもに、「あなたは障害者なんだよ」とは言えないって話とか…



よく、こういう問題で言われるのは、「障害は個性だ」というとらえかた。

でも、私はこのとらえかたには、正直、偽善を感じてしまうのです。
よく、得々とした顔で「障害だって個性だから!」という人がいる。
でも、本当に個性と言っていいのかな?
そんなことを得々とした顔で言えるひとは、障害による不便さ、不自由さを経験していないから言えるのではないでしょうか。

宮田広善先生は、著書「子育てを支える療育」の中で、次のように書かれています。

障害は「治すべきもの」ではなく、「上手に付き合っていくべき属性」なのです

宮田先生が、この部分でおっしゃりたかったことは、個性うんぬんのことではなく、障害は治せるもんじゃなくて、一生付き合っていかなきゃならないものなんだと思わないと、「がんばれば治せる」とか思っていると、道を誤るよ、ということなのですが、論点は違っていても、宮田先生もやはり、「個性」とは書かれていないのです。


また、茂木俊彦先生は、著書「障害は個性か」の中で、次のように書かれています。

だが、障害はなんといっても個人の生活と活動を制約する面をもつ(その意味で負の影響をおよぼす)属性であり、その制約は意識のうえでいかに軽く位置づけてみたところで軽減したり解消したりするものではない。



少なくとも、ここ日本では、「個性」という言葉は肯定的なニュアンスを持っており、
大勢の中で、その人を良い意味で際立たせ、輝かせる特徴がある場合に使われていることが多いと思います。

ところが、「障害」というのは、当事者にとって、やはり生きていくうえでの不自由さを伴うものなのは事実。
不自由なのに肯定的にとらえようとするのは無理があると思います。

ただ、障害のある本人が、「これは自分の個性だ。これも含めて全部が、自分だ」とおっしゃるのは、また意味が違ってくるとも思うんですね。

不自由な思いをしているけれども、それもひっくるめて、自分を愛おしむ気持ちにあるのなら、
「個性です」と言い切る、その言葉の意味は深い、その人にとっての正しいとらえ方でしょう。

でも、当事者以外の人が障害を語るとき、「個性なんだから気にすることはないよ!」と言い切ってもいいのでしょうか。

障害が個性なら、それは、その人の生活を不自由にする性質は持たず、よって、人の支援を求める必要もないということにならないでしょうか。


だからたとえば、非常に知能が高い…たとえば学者とかで…「あの人って、アスペルガーよなぁ、絶対」と思うような方も、しばしばいらっしゃいますよね。

でも、まわりはその人のことを障害者として扱ってないし、本人も障害者だと思っていない。
そして事実、その人は、分類するならアスペ傾向かもしれないけれど、障害者の分類の中には入らない、と言えるでしょう。


なぜなら、その人は、その人の生活を送るうえで、その特徴によって足を引っ張られていないからです。
変わりものなのは事実だけれど、他人と大きな問題を起こすでもなく(おそらく、周りの人がその人に合わせているか、実は嫌がられて避けられているけど本人が気づいてないとか)、他人の手を借りる必要もなく、社会的地位も得ているのなら、それはもう障害じゃない。

けれども、それによって不自由をし、他人の援助を必要としているのなら、やっぱりそれは、「個性」ではなく、障害なんじゃないでしょうか。

個性だ個性だと言ってしまうと、個性なら助けはいらないでしょってことになりかねないし、
第三者が、「障害って個性だと思うんですよ、私は!」とか語ることによって、、
その人に対する支援の必要性を否定するようなことにつながらないでしょうか?


うーん、なんかまとまりきらないな。簡単にまとめられる話でもないので、このままズルズル書いちゃいますが、もうひとつ気になっていることがあります。

それは、たとえば高機能自閉症やアスペルガー症候群のお子さんが、

「オレは障害者なんかじゃない!」

って言ったとして、それに対してお母さんが、

「そうね、あなたは障害者なんかじゃないわ。ただちょっと個性が強いだけよね」

って慰めた…みたいな話を聞くこともあるし、また、「家ではそう言ってるんです。個性としてとらえてるんです。」と、さも「正しい対処」のように語るお母さんも時々おられるんですが…


私自身が高機能の子の親じゃないから、その心理を正しく理解できてないだけなのかもしれませんが、それにしても。

「障害者なんか」

というような表現をしている時点で、それは「障害者」のひとみんなに対して失礼だと思うわけです。

そもそも、障害というのを、悪ーくとらえているから、「なんか」の一言が出てくるわけで、
「障害」って別に悪いことをしてなるわけでもない、本人にはなんの責任もないことで、誰かが背負わなければならないものをたまたま背負ってしまっただけなのよ、と話してあげるほうが先じゃないか、というか…

「障害者なんかじゃない」

って考え方の軌道修正をするほうが、まずしなければならないことじゃないんでしょうか。
あなたは障害者じゃないわよ、って言ってあげる前にね。


それに、すでにその「障害」によって生きにくさを感じている場合、それはあなたの持つ「障害なんだよ」って知ることによって、生きにくさの根本的原因を知り、努力だけではどうにもならないことがあるんだ、とか、自分が悪いわけじゃないんだとか、気持ちが楽になるってことはないんですかね?


だから、

あなたがこれまで生きにくさを感じてきた原因は、実は持って生まれた「障害」にあったんだよ、
でも、それはあなたのせいではないし、誰のせいでもないし、そもそも、障害があることは罪ではないし、
その人の価値を貶めるものではないんだよ、
障害はあるかもしれないけれど、そのぶん人よりずっとがんばっているあなたは偉いし、
他の人には無い、あなた自身のいいところもたくさん持っている。

障害があっても、あなた自身の価値はなんら減損されるものではないけれど、
あなた自身が抱える不自由さについては、自分を責めたり、自分一人でがんばろうとするのではなく、
誰かに助けを求めてもいいんだよ。それは人としての当然の権利であり、
誰かが背負わなければならないものをたまたま背負って生まれてきたあなたは、
人に助けてもらうことを恥じることはないんだよ。

…って
言ってあげられたらいいんじゃないかな~

とか、思っちゃったりするんですけどね。


まとまらなかったな。
まあ、このテーマについては、もっと掘り下げていきたいです。

要するに、障害という言葉を嫌がる人は、その人自身が、障害者に対して差別意識を持っていることから、そう感じる…ってことはないですかね?


いやいや、その人当人だけの問題でもないですね。
この、日本の社会が、「障害者」という言葉に、大きなマイナスイメージを与えているからこそ、
そのレッテルを子どもに貼られることを、親は嫌がる。

障害という言葉そのものが問題なのではなく、障害って言葉が、他の言葉と同じように、普通に抵抗なく使われるような社会ならいいんだ。


…でも現実には、そういう社会じゃないからね。
だから結局言葉狩り?


…やっぱり根本がズレているような気がして、ならないなぁ…










この記事へのコメント

2009年05月01日 09:06
「障害」って 何なの? って思っちゃいます。
うちは子どもに「障害」がないから 無責任な言い方になるかもしれなくて 申し訳ないんですが
普段 学校や生活の中で 「障害」があると言われている人と
「普通」に関わっていますよ。
私が教えたわけでもないし、誰かに指図されてもいませんが。
同じ人間、同じ時間を生きている者で、何で区別しないといけないんでしょう‥
私が介護職だからでもなく、誰でも目や耳や空気や皮膚で
あらゆる事を察知するということを
みんなが頭の片隅にでも 置いていたら いいなぁと思います。
うまく言えなくて ごめんなさい!
2009年05月01日 11:06

第3者で深い所での気持ちの理解ができませんが、、、
現在、教育問題の勉強会に養護の先生がいらっしゃりお話を聞く機会は他の人より多くあります。

後はボランティアで養護学校や施設にマジックでお邪魔することがあります。
姉が日本脳炎の高熱から知的障害になってしまいましたが、私は7人兄弟の仲でこの姉が一番好きです。心が綺麗で、素直で、、、、

マジックショーでも本当に心から喜んでくれるので施設に行くのも大好きです。

2009年05月09日 09:57
>rikuさん
亀レス、すみません~(^^ゞ
無責任な言い方なんて、そんなことないですよ!
rikuさんちみたいなひとばっかりだったら、わが子も生きていきやすいだろうに…と思います。
でも私自身、すべての障害の人に、理解ある態度をとる自信は、全然ないです。でもそれは、自分の子の障害以外の人に関して、知らないことが多いことからくる、不安感に根ざしていると思います。あと、その人個人をよく知らないと、やはり不安になりますよね。
だから、やっぱり、お互いがよく知りあうような環境にないとダメなんだよなぁと思います。
2009年05月09日 09:58
(つづき)ブツブツ言いながら道を歩いている人を、知らない人なら「怖い」と思うけれど、「あ~あのひと、ブツブツ言うのはクセだけど、別に悪い人じゃないよ」とか、なにかとっさのときでも、対応の仕方をしっているだけで、全然違うよな~と思います。突然家に入ってきて水をジャージャー出す自閉症のお子さん…有名な人です、今はもう大人ですが…についても、知らなかったら、めっちゃ怖いですよ。困惑します。でも、事前に知っていて対応法もわかっていたら、なんとかできますからね…なんか私もうまく書けないなぁ(@_@;)
2009年05月09日 10:04
>羅輝さん
こんにちは、初めまして(^-^)ようこそいらっしゃいました。亀レスで大変失礼いたしました。プロフを見せていただいたのですが、子育てとかのセミナー講師をされていらっしゃるんですか?そんな方に読んでいただくなんて、お恥ずかしい限り…東松山市というと、私の中では、福祉の進んだ街、というイメージです。いいところなんでしょうね!
知的障害の子って、素直でかわいいですよね。うちの子も、よそさまから見たらかわいい…って言われます(^^ゞ反応がいいらしいです。中学生って、普通の子はもうクールになっちゃってますが、特別支援学級の子どもたちは素直に反応するので、先生たちもある意味、やりやすいのかも!?
Buzy
2009年05月20日 22:55
初めまして(^-^)伊豆七島の神津島という小さな島の障害者施設で働いています。私自身障害を障がいと表現するのにたいしとても違和感を感じていました。私のなかのもやもやがどこから来ているのかがわかってすっきりしました。自分の持った障害を堂々と言って自然に周囲の人たちが手を貸してくれるようになるといいな、と思っています。仕事でつい能率や管理しやすいやり方を優先しそうになり、通ってくるかた達の気持ちを置き去りにしてしまうことがあります。障害を持ったかた達やご家族の思いを知りたくてこれからも覗かせてくださいね。
2009年05月21日 20:00
>Buzyさん
こんにちは、ようこそいらっしゃいました!
なんと、神津島のかたですか!
神津島…聞いたことはあったものの、ほぼ無知でしたので、早速調べてみました。地図を見て、ここ岡山との距離を見て、なんかカンドーしてしまいました。ネットって、怖い側面もありますが、こういうとき、ネットのありがたみを本当に感じます。
神津島の人口は、2千人もいないんですね。でも、障害者施設はあるんですね~島の障害者のかたにとっては、貴重な場所に違いありませんね。
「障害」という言葉の問題、私なんかの文章で、なにかすっきりしてくださったでしょうか!?結論のない、まとまらない文章でしたが…(^^ゞ
2009年05月21日 20:03
(つづき)
「がい」問題は、まさに今、私たち直面していまして…というのも、団体名に「障害」の文字が入っているものですから、「がい」に変えなくていいのか!と、あちこちで言われるんです。なにせ、市の方針が、今年度から「ひらがなにすること」と決まったもんですから(@_@;)でも行政機関でもないのに、ほっとけよ、よけいなお世話…と思ってるんですけど。そうやって、金のかからない方法で、いいことしたみたいな気持になってる、まったく偽善ったらしいったらありゃしない、と私なんかは反発してしまうわけです。おおっと、過激過ぎましたか?
2009年05月21日 20:09
(つづき その2)
文字の問題なんて、本当に表面的な話です。それをひらがなに変えたからって、人の心の中まで変わるんでしょうか?「変えなくていいんですか」と言ってくる人に限って、要するに「障害」を悪いことと思ってると思うんですよ。あるお母さんが、子ども自身が「障害」というのが悪いことととらえるかとらえないかは、親の教え方次第だ、と言ってました。私もそう思います。別に悪いことじゃない、誰も悪くない。また別のお母さんは言いました。「うちの子がなんか悪いなんて、考えてもいない、悪いとしたら、それは世の中のほうが、うちの子にとって害になるってことだ」
このお母さんたちの潔さを、行政の人もちっとはかみしめてみたらどうか、と思うわけです。
って、いきなり演説ぶってしまってすみません(^^ゞ神津島ってすごく海がきれいなところのようですね、行ってみたいです…!!またぜひ、こんなブログでよろしければ、お立ちより下さいね☆
Buzy
2009年05月21日 22:23
東京都でも障害の「害」を「がい」と表記するようになってきましたが、障害は人を指すのではなく、身体や知的や精神が障害をきたして様々な支援を必要としている状態をいうのだと思います。私がこの仕事を始めた5年前は子供の前で障害について話すことはタブーとされていた雰囲気がありました。でも今は自分の障害について理解し、何ができないかを知って必要な援助を受けられるようにすることが大事だと話しています。
Buzy
2009年05月21日 22:53
続きます(^^ゞとは言うものの島の障害者支援は始まったばかりで、グループホームやショートステイはまだできません。ご家族に何かあれば島外の施設に行かなければならず、住み慣れた島で安心して暮らせる環境を整えようと親の会が3年前に発足しました。情報も入りずらく、障害を持ったお子さんのいるご家族は内地へ視察や勉強に行くのも至難の業です。私もブログ書いてます。神津島・羅針盤で検索して遊びに来てくださいネ!PCが古くてすぐ凍りついてしまうので携帯から書き込みや更新することが多く読みづらくてごめんなさい。
2009年05月24日 20:43
>Buzyさん
亀レスですみませんでした
東京でも、そういう流れなんですね…まあ、文字にこだわるという流れは、ずいぶん前からいたようですが。まあ、それを言ったら、私も「子供」と言う字は、「子ども」と書いてますね。「子供」よりもなんとなく、いいような気がしちゃうんで、書いてるんですけど、音にしたら、どちらも一緒なんですよね。自分だって字にこだわってんじゃん、と言われればそれまでですが…
ただ、お上から押し付けられるのはどーかなー?と。
障害と書こうが、障がいと書こうが、障碍と書こうが、個人の好み、勝手なんですが、おしつけはどうかしら…
2009年05月24日 20:46
(つづき)
>障害は人を指すのではなく、身体や知的や精神が障害をきたして様々な支援を必要としている状態をいう

これは的確な表現ですね!!本当に、そのとおりと思います。

〉ご家族に何かあれば島外の施設に行かなければならず

やはり、島の暮らしというのは、厳しい面があるのは否めませんね。
でも、親の会が発足したというのは、とてもいいことだと思います。情報も入りづらい、とは言っても、今はネットの時代ですからネ!遠くても交流できますよ。交流するうちには、お互いを訪ねよう、って話になるかもしれません!岡山は遠すぎますが、ぜひ、今後ともよろしくお願いいたしますね☆

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