そういえば

今日、ふと目にした週刊誌に、松野あけみさんの次男がダウン症だ、と書いてありました。
そうなんですね、全然知りませんでした。

松野さんは、ちょっとは顔を知られた自分が、障害児を生んでしまうなんて、人生に負けたと思った。
人に知られたくなくて、隠したんだそうです。

でも、育てていくうち(お子さんは合併症があって、手術も必要だったようです)、隠していた自分が間違っていたと感じるようになった、それで昨秋、バラエティ番組でカミングアウトしたんだとか?

全然知らなかったなぁ。


21トリソミー、いわゆるダウン症は、800分の1くらいの確率の問題で生まれるわけなので、
別に誰のところに生まれたっておかしくないわけです。

いや、松野さんは、おそらく高齢出産なのかな。
高齢出産は、出生の確立が400分の1~100分の1くらいに高くなるらしいので、
高齢出産なら、ある程度は覚悟しないといけない話ではあります。

要するに、大きな賭けに負けたって思ったのかしら…

でも、この人正直ですよね。
障害児の親になるなんて、勝負の世界で生きてきた人間としては受け入れがたい、人生の敗北だと。
そう思ったと。

人よりも「できない」存在をさずかるなんて、負け組ってわけですか。


でも、お子さんを育てていくうちに、「人よりゆっくり育つんでもいいんだ」って「勝ちも負けもない」って思えるようになったと…かなり、そこに至る精神的な過程には、つらいものがあったのでしょうね。

貧乏くじをひいた、と思う考え方もあるでしょうけれど、
反対に考えれば、すごい確率で、ラッキーを引き当てた、とも言える。

それくらい、障害を持つ子が教えてくれることって、多いし、
得がたい経験をさせてくれます。
自分自身の破壊、崩壊。こんな経験は、普通はできません。

いったん壊れた自分から再生していく過程が、どの人も素晴らしい、とは、私もよう言いませんが、
弱かった、醜かった自分の殻を脱いで、たくましくしなやかに再生するお母さんたちも大勢いる。

そんな人たちを見るにつけ、
ああ、こんな人たちを生み出すのなら、やっぱりあの子たちって、神様なのかもしれないなぁって、思うんです。

もとからそういう資質を持ってたのに違いないけれど、
障害のある子によって、持っていた美しい才能が開花するわけです。


子どものためにすごく、苦しんでいるお母さんも、身近にいますが、
その方だって、いつでも、どんなに苦しくても、周りの人に感謝してる。

私はいろんな方に助けてもらえて、ラッキーです、って。

私なら果たして、彼女と同じ状況で、そう言えるのだろうか?自問自答します。
おそらく、彼女が元から持っている、心のきれいさがそうさせるんでしょうね。

私が彼女に「がんばりすぎないで、ぼちぼちやろうね」ってメールを返したら、
彼女が、「POSHIさんがそんな風に言うなんて、意外です…私から見たら
POSHIさんは、いつも、ものすごく頑張ってるように見えるから…心配になるくらい…
私自身も、障害児の親は頑張らなきゃいけないんだって毎日やってきたので…
でも、POSHIさんの言葉を読んで、なんだか少し気が楽になりました」って、
返事をくれました。

私は彼女に返しました。

「誰も、私たちに、『これ以上がんばれ』なんて言う資格はないよ」

そうです。彼女も私も、充分がんばってるんだから。

ちょっとは自分をいたわらなくちゃね。
彼女がちょっとでも安らいでいてほしい、本当にそう思います。
彼女のような人には、本当に、幸せになってもらいたいんです。
















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